本記事では、日本リハビリテーション医学会のガイドラインを軸に、訪問セラピストが遵守すべき中止基準と、その判断を支える臨床的知見を再構成して解説します。
1. 判断の境界線:リハビリを「中止」すべきレッドフラッグ
1. 全身状態・感染症
- 発熱: 38度以上の発熱
- 感冒症状: 激しい咳、呼吸困難、痰の増加
- 重度の倦怠感・食欲不振: 著しい疲労感や全身のぐったり感
2. 循環器系(心臓・血圧)
- 安静時脈拍: 40拍/分以下、または120拍/分以上
- 安静時収縮期血圧(最高血圧): 70mmHg以下、または200mmHg以上
- 安静時拡張期血圧(最低血圧): 120mmHg以上
- その他: 著しい不整脈がある場合、急性心筋梗塞直後、急性心不全、重症の狭心症
3. 呼吸器系
- 酸素飽和度(SpO2): 安静時90%以下(労作時でも下がる場合)
- 呼吸困難: 中等度以上の呼吸困難、ぜん鳴(ぜーぜーする)
4. 神経・精神系
- 意識障害: 意識混濁、意識低下
- 意識状態の変化: 強いめまい、嘔気(吐き気)、頭痛
- 精神状態: 強い不安、恐怖、抑うつ、幻覚・妄想
5. その他
- 痛み・関節状態: 激しい痛みや腫れ、関節の不安定感
- 浮腫: 下肢の浮腫(むくみ)が著しく増加している場合
- 体重: 急激な体重増加(心不全の疑い)
在宅現場では、セラピストが第一の判断者です。まずは、リハビリを開始してはいけない、あるいは途中で中止すべき具体的な数値を頭に叩き込んでおきましょう。
「途中でリハを中止する」基準
運動中に以下の変化が現れたら、即座に中止し静養・報告が必要です。
- 運動中、脈拍が140拍/分を超えた場合
- 運動中、1分間に10拍以上の脈拍の乱れ(不整脈)がある場合
- 収縮期血圧が30mmHg以上低下した、または40mmHg以上上昇した場合
- 中等度以上の息切れ、意識の悪化、めまい、嘔気、狭心痛(胸の痛み)が出現
2.一人で訪問するセラピストを襲う「もしも」の不安
病院とは異なり、医師や看護師がすぐそばにいない「完全な個別空間」である訪問現場では、セラピストがたった一人で患者の一挙手一投足を観察しなければなりません。「もし、リハビリ中に容体が急変したら」という不安は切実です。
しかし、現場で本当に恐れるべきは劇的な心肺停止だけではありません。判断に迷うような「小さな変化」の中にこそ、重大なリスクが隠れています。
3. 「急変=心肺停止」は思い込み? 現場のリアリティ
臨床データ(坂崎ら, 2009)によると、リハ中の事象は気分不良(18%)、バイタル変化(13%)、嘔吐(11%)などが大部分を占めます。心停止に直結しうる「胸部痛」はわずか2%です。
つまり、実際に出会うのはBLS(一次救命処置)適応前段階の「準緊急的な状態」です。この段階でいかに早く察知し、適切にトリアージできるかが、訪問セラピストに求められる真のスキルです。
4. 【意外な事実】心筋梗塞を疑うサインは「右肩」が重要?
胸痛評価において、教科書的な「胸左側の放散痛」よりも重要な指標があります。急性心筋梗塞(MI)の診断における尤度比(ゆうどひ)を確認しましょう。
✳︎尤度比:尤度比(ゆうどひ、Likelihood Ratio)は、医療検査などで「病気の人」が「健康な人」に比べて、どれくらいその検査結果(陽性/陰性)になりやすいかを示す指標です。感度と特異度から計算され、陽性尤度比が高い(10以上)ほど確定診断に有効、陰性尤度比が低い(0.1以下)ほど除外診断に有効と判断されます。
- 右上肢や両肩への放散痛:尤度比 4.7
- 両上肢や両肩への放散痛:尤度比 4.1
- 左上肢への放散痛:尤度比 2.3
「胸の片方よりも両方」「胸の左よりも右」の痛みが、実は強力な指標となります。一方で、「触診により再現される痛み(尤度比 0.3)」は、筋肉や骨由来の可能性を高め、心筋梗塞の可能性を下げる除外診断に役立ちます。
5. 胸痛の42%は「消化器」由来。でも最悪を想定する
統計上、胸痛の原因で最も多いのは「胃腸(42.0%)」です。しかし、危機管理の鉄則は「致死的な疾患」を除外することにあります。
- ACS(急性冠症候群:狭心症、急性心筋梗塞)
- 急性大動脈解離・大動脈瘤破裂
- PE(肺塞栓)
- 緊張性気胸
これらを常に念頭に置き、安易に胃腸症状だと決めつけない疑いの目が患者の命を守ります。
6. セラピストに求められる「トリアージ」の実践
- 意識と脈拍の確認: 意識がなければ即座にBLS開始、救急車要請。
✳︎BLS(Basic Life Support)は「一次救命処置」のことで、心肺停止などの緊急時に、救急隊や医師が到着するまでその場に居合わせた人が行う、器具を使わない(または簡便な器具を用いた)応急手当。主な内容は心臓マッサージ(胸骨圧迫)とAED(自動体外式除細動器)の操作で、迅速に行えば救命率を大幅に高めることができる。
- バイタル異常の確認: 冒頭に挙げた中止基準(呼吸・血圧・SpO2・脈拍)に一つでも該当すれば「高度・中等度の緊急性」と判断し、救急車を要請します。
- 連絡の徹底:緊急性が低いと思われる場合でも、勝手な判断はせず、かかりつけ医や看護師に直接指示を仰ぐのが鉄則です。
7. DNARと在宅での「死の徴候」への向き合い方
✳︎DNAR(Do Not Attempt Resuscitation:心肺蘇生行為不実施)とは、終末期などで心肺停止または停止が予測される際に、患者本人や家族との話し合いに基づき、医師が心臓マッサージや人工呼吸などの心肺蘇生(CPR)を意図的に行わないと決める指示です。尊厳ある看取りや苦痛の緩和を目的とし、治療の中止とは異なります。
セラピストが「第一発見者」となる可能性も想定しなければなりません。
- DNAR(蘇生不要): 事前に意思を確認し、急変時の連絡先をチームで共有しておきます。
- 死の徴候: 死斑(地面に近い部位の変色)や死後硬直(顎から始まる)が明らかな場合はCPRを行わず、警察やかかりつけ医へ連絡します。迷う場合はCPRを開始し、救急車を要請してください。
安全な管理こそが最大の信頼を生む
科学的な根拠に基づいてリスクを管理できているからこそ、私たちは自信を持ってリハビリを提供できます。明日からの訪問で、患者が「なんとなく肩に違和感がある」と口にしたら、それが「右」か「両方」か。その問い一つが、患者さんの運命を分けるかもしれません。

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